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「地球交響曲(ガイアシンフォニー) 第六番」上映会 9月

全ての存在は時空を超えて繋がっている


映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』とは、イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士の唱えるガイア理論、「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という考え方に勇気づけられ、龍村仁監督によって制作されたオムニバスのドキュメンタリー映画シリーズです。

美しい映像と音楽、珠玉のことばの数々によって織り成されるドキュメンタリー映画『地球交響曲』は、環境問題や人間の精神性に深い関心を寄せる人たちのバイブル的存在となっており、1992年公開の「地球交響曲第一番」から2021年公開の最新作「第九番」まで、草の根の自主上映を中心とした上映活動だけで、これまでに延べ、250万人に上る観客を動員、その数は今なおとどまることなく、かつてないロングランヒット作となっています。

小さなガイア上映会 in 西宮・あんのん舘では、9月に『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第六番』を上映します。
 

上映作品:
 『地球交響曲 第六番 -GAIA SYMPHONY No.6-』

上映日時:  ① 9/ 4 (水) 10:30〜13:00  ② 9/ 4 (水) 13:30〜16:00  ③ 9/ 8 (日) 10:30〜13:00
 ④ 9/ 8 (日) 15:00~17:30
 ⑤ 9/18(水)10:30~13:00
 ⑥ 9/18(水) 17:30~19:45
 ⑦ 9/18(水) 奈良裕之さん演奏会 20:15~
 ⑧ 9/22(日) 10:30~13:00
 ⑨ 9/22(日) 15:00~17:30

チケット代金(当日現金にてお支払いください):  A) 映画+シェア会 1,500円  B) 映画のみ 1,300円
 C) ⑥+⑦ 6,500円
 D) ⑦ 6,000円

会場:
studio awai(あんのん舘2F・西宮市田中町4-9)

お申し込み方法:
 こちらからお申込みください

 

深夜、フト目が覚めて、私のベッドの傍らに眠る三歳になる娘の寝顔を見た。

こんな深夜に突然目覚めるのも、多分この私が六七歳という老年期に入ったからだろう。

それにしても、なんという生命(いのち)の不思議だろうか。

私の手の中にスッポリと入ってしまいそうな愛くるしい小さな顔、小さな目、小さな鼻と口。

微かな寝息が聴えてくる。

私は、人差指を立ててソット娘の小さな手に添えてみた。

娘は、眠ったままキュッキュッと2度試すように手を開いたり閉じたりした後、そのか細い5本の指で、しっかりと私の節くれ立った人差指を握り締めた。


私達が住むこの宇宙は、およそ百四十億年前、時間も空間も物質もない無の虚空から、突如起った大爆発、ビッグバンに依ってこの世に生み出された、と現代の物理学は説明している。

この大爆発から数千億を超える銀河が生れ、その銀河のひとつひとつに一千億から四千億もの星々が生れ、そんな星のひとつ太陽の周りに地球が生れ、その地球の上に初めての生命(いのち)が誕生し、その生命が三十八億年の進化を遂げて、今ここにこの小さなひとつの生命が、私の節くれ立った指先をしっかりと握り締めて眠っている。


 完璧なまでに美しく、美しいが故にあまりにも儚(はかな)いひとつの生命。この生命が、自らの意志と力で母なる星地球(ガイア)の上にしっかりと立ち、時空を超えた全ての生命との繋がりの中で、人間として生れた使命を全うする姿を、この私が、今生の身体を通して見届ける保障はなにひとつない。しかし、だからこそ私達には、今、ここで果さなければならない責務がある。


 私達は、百四十億年前の宇宙の始まりの時を想うことができるほどの“想像力”を与えられた。しかし、その“想像力”を、自分だけの利便と安楽のためだけに使い、自らの生命が、三十八億年の、いや、百四十億年の全ての存在との繋がりの中で“生かされている”というまぎれもない事実を忘れ去ってしまった。その結果が、今起り始めている大災害の予兆であり、悲惨な人心の荒廃である。母なる星地球は、自らを蝕む病原菌を駆逐する為に、早晩、最大限の自己治癒力を発揮するだろう。それは、二十一世紀に生れ育つ子供達が、未曾有の苦難の道を歩まなければならないことを意味する。


 私達人間が、今、ここで果さなければならない責務とは、自分の生命が、自分以外の全ての存在との繋がりの中で“生かされている”という事実を思い出すことだ。私達ひとりひとりが、日々の全ての営みの中で、この“想像力”を取り戻すことだ。


 私は、1989年、この映画シリーズをスタートするに当って、タイトルを「地球(ガイア)交響曲(シンフォニー)」と定め、「地球の声が聴えますか?」という呼びかけから始めた。巨大な生命体であるこの地球のシステムは、今、この一瞬にもライブ演奏されている「交響曲」のようなものだ、と直感したからだった。


 「交響曲」は、その曲に依って、演奏者に依って、楽器に依って、聴衆に依って、一回一回全て違った”音楽”としてこの世に生み出される。しかし、その違いにもかかわらず、全ての「交響曲」がめざす唯ひとつの目的は、その場に、その時にしか生れない、美しく壮大な調和(ハーモニー)の “音楽” を創造することだ。


私は、この宇宙の成り立ちも、母なる星地球の生命システムも、生態系も、人間の体や心の仕組みも、社会や文化の構造も、この世の全ての存在は、刻一刻と変化しながら生(ライブ)演奏されてゆく“音楽”のようなものだ、と思っている。


 もし、母なる星地球に、いやこの宇宙そのものに「大いなる意志」があるのだとすれば、それは、この宇宙に次々と多様な“音”を生み出しながら、止まることもなく変化する調和の“音楽”を奏で続けることではないだろうか。


 調和の音楽を生み出すためには、その演奏に参加する全ての存在が、自分以外の存在が奏でる“音”に耳を澄まさなければならない。他の存在が奏でる“音”を聴くことに依って、今この一瞬に自分が奏でるべき“音”が生れ、その“音楽”が他の存在が奏でる“音楽”と響き合って、壮大で美しい調和の“音楽”が自ずと創造されてゆくのだ。


 今、私達人間は、明らかに調和を乱す“不協和音”を奏でている。調和を求める宇宙の「大いなる意志」に依って、私達そのものが抹消されてしまうのか、それとも、新たな調和の音楽の創造に参加することができるのか、その選択は私達自身に委ねられている。


今こそ私達は、自分以外の存在が奏でる“音”を聴く“第三の耳”を開かなければならない。耳には聴えない“音楽”を聴く“想像力”を取り戻さなければならない。それが、第六番のテーマを「音」と定めた私の動機であった。


さっきまで私の指を握り締めていた娘が手を離した。

小さな足で思い切り蒲団を撥ね上げたかと思うと、体をグルリと半回転させ、その足をドカンと私の顔の上に降ろした。

寝息は、相変らず続いていた。


 「全ての存在は、時空を超えて響き合っている」


龍村仁


 

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